
皆様からのセラピー体験記
皆様から頂きましたセラピー体験記録です
セラピースペース ルース でセッションを受けて頂いた皆様からの「体験記」です。秘密保持に配慮し、個人特定が可能な箇所につきましては修正の上、寄稿者様の承諾を得て掲載をさせて頂いております。
※下のタイトル名をクリックして頂きますと、ご寄稿文章が開きます。
60代 女性 K・S様
湿疹に関するセラピー
前世療法
今出ている湿疹の原因となっているところとして、1600年代のインドで生活していた女性にアクセスしました。
名前はルキナさん、5歳の彼女は病院のベットの上でした。全身やけどしていて、お母さんと一緒に台所にいた時にかまどで火遊びをして、洋服に飛び火してしまい、全身特に背中や頭の一部など背面が酷く火傷をしてしまったのです。
入院してしまったのですが、火傷は結構酷く、隣にいた看護師さんに聞いたところ、一応治るのに1年はかかりそうと言っていました。治療法としては冷やして薬をぬってガーゼを取る替えるくらいで、治っても跡は残るし、生涯ちょっとした刺激でずっと痛みやかゆみを発症してしまうであろうとの事でした。
とても我慢強い子どもさんで、じっと痛みに耐えている様子です。
そして20年後、ルキナさんは小学校の国語の先生をしていましたが、ケロイド状態が酷く、子供たちにも醜い先生と思われていたとルキナさんは言っていました。それでも教えることに充実感を感じていたようです。
その後50歳では、学校を退職して農作業をしていました。
気持ちは半々で、半分は人と接触しないで済んでいる安心感のようなものと、半分は逃げた人生を悔やむ気持ちと言っていました。
ただ植物と接することで大分気持ちも変わってきて、同じ植物に携わる人たちとの交流もありだんだんと気持ちも落ち着いてきていたようです。
78歳で臨終を迎えますが、その時は大勢の人が看取ってくれて居ましたが、その中で一人、ルキナさんをじーっと見つめている女性がいました。
気持ちを探ると、5歳のルキナさんに火をつけたのはなんとその人だったのです。恵まれた環境にいるるきなさんが羨ましくて妬みからだったそうです。
長い事罪悪感にさいなまれてきましたが、打ち明ける勇気もなく唯々見守るだけだったそうです。そのことを知ってルキナさんはその人を恨むでもなく、そのように罪悪感に苛まれてきたのはさぞかし辛かったろうと思ったようです。
ルキナさんの生涯で学んだ事は何ですか?との問いに、自分がこうと思っていたことも違っていた。相手に心を開けば道も開ける。でも心を開いてもダメな人もいる。
では学び損ねたことは?
「自分は同情される立場が多かったので、人を思いやる立場に居ることが少なかった。」
前世のルキナさんに何か聞きたい事は?
「どうしたら人の目を気にしないでいられるか?」
「答えとして、全く気にしなくなるのは無理。それに自分が思っているほど人はあなたの事を見てはいない。 見ているであろう一部の人だけを気にして心を痛めながら生きていくか、多数の人たち(気に留めていない人たち)と心を合わせて生きていくかは貴女次第。自分の中に気にする部分があるから、気にする人を呼んでしまうのかも(とおっしゃっていました。)」
気にする自分をどうにかなりませんか?
との問いに
「それはかなり難しい。それに、その気持ちを0(ゼロ)にしてしまうのは良いことばかりではない。人を気にすることでプラスも面のあるから。」
此処でハイヤーセルフ(観音様)に来ていただきました。
湿疹に関して質問すると、「今生は病気を通してカルマを解消している。病気は(〇〇さんにとって)必要なもの。これは経験だから、経験を通して学んでいく事が沢山ある。例えば、思いやりの気持ちや、自分と同じと思わない事。小さい頃まったく病気をしなかったので、他人の痛み、大変さが良く分かっていない。自分も頑張っているから、お前も頑張れ。我慢も美徳と思っている。と言ったところがあるから、痛さなど共感する必要がある。」
そこで何とか軽減して欲しいとの問に。
観音様が仰るには「言っていることは良くわかる。でもきつい事を経験している割には上が思っているほどの量の学びにはなっていない。でもそれは良い面でもある。明るさとか、我慢強さにあらわれている。より上に上がって頂きたいので、経験している。」
病気ではなく別の方法があるのか聞いてみました。
「瞑想とか、今のセミナーでパワーを頂くのは効果はある。唯、善行等はこの人には向いていない。例えばごみ拾いをしたとすると、今度はごみを捨てる人が気になったり、何であの人ごみを拾わないのか等、マイナスの思考が出てきて、結局負のカルマを増やしてしまう。だからこの人にとって実は最短コースを経験している。経験も一時的。その時一番辛いいと思っても、次のことが起きれば前の事は忘れている。ずっと続くものではない。」
そこで、湿疹という事で、身体の事を司っているインナーヒーラーさんにお話をきいてみる事にしました。
「辛い時には常に心に自分は神と一体であることを思い出しなさい。ついつい忘れがちになるから。特に痛み、痒みが酷い時には助けて、ではなく共にあるという事を思い浮かべる習慣をつけなさい。気持ちが不安、恐怖に襲われないで済むから。唯、この人は心の奥深い処で治らないことを望んでいる。治るのが怖いと思っているふしがあるから難しい。勿論治りたいと思っており本人もいる。」
日常生活で気を付けた方が良い事があればアドバイスをくださいとお願いしましたら、「そこに意識を集中させすぎない。例えばかゆくないときに、何で痒くないのかと思う事で又痒くなってしまう。忘れている時にそれを思い起こす必要な無い。煙草を吸うなら罪悪感を持たない。罪悪感を持つようなら吸わない事。」
意識を向けすぎないという事でもう少し具体的にとお願いしたら、「暇な時間を持たない。テレビを見ながら皮膚の気になる処をむしったりしない。」
ここでインナーヒーラーさんにはお帰り頂きました。
そして背中の痒みさんにこの湿疹はルキナさんの痛みや痒みをエネルギーとして持ってきているのかを聞きましたら、それは3割で、後は本人のカルマ解消の為とおっしゃていました。ではその3割は今生手放しても良いものかどうかききましたら、3割は手放せるとの事でしたので、ルキナさんの持っているもので欲しいもの(人目を気にしないエネルギー)を〇〇さんの右手から頂き、そして湿疹エネルギー3割を〇〇さんの左手からルキナさんに受け取ってもらい、宇宙のエネルギー、光で浄化して頂きました。
右手は赤いエネルギーを、左手は黒いエネルギーを感じられたそうです。
そして再度ハイヤーセルフさんに伺いました。
今生の目的は何ですか?
「本当の自分を取り戻すこと。」
「自分を知る事。」
今生の使命は?
「今生は次のステップの準備で来ているので、その為にカルマを浄化して減らしたり、良いカルマを創ったりする事。其の為には自分を知ること。自分を取り戻すこと。だから何も心配せずに、与えられたこと、来るべきものをそのまま経験していけばよい。流れの乗って生きなさい。」
一度のセッションでこの様な沢山の気づきを得られて本当に感動感謝です。
自分を顧みる良い機会となりました。
本当にありがとうございました。
40代 女性 Y・U様
西田先生
こんにちは。
先日は素晴らしいセッションをありがとうございました。
今日はご報告させてください。
実はお伝えしていませんでしたが、4月に母に断絶されていまして連絡を取っていませんでした。
母は癇癪起こすと「死にたい」とすぐに言い出すし、手が付けられなくて、
当時も、「あなたの連絡先、LINEも消去した」とLINEにメッセージがあり、
電話もしてきたのですが、私が電話に出ずそのままになっていました。
施設に入っている義母が長くないと連絡があり昨日急遽横浜に帰り、会ってきました。
そのことだけ伝えようと今日実家に電話をしました。
母が出たので「この間はごめんね。」と謝り、(私は悪くないと思っていますが)
義母のことを伝えました。
すると「私だって具合が悪いのよ。わかったわよ」とブチッと切られました。
(調子悪いときはいつものことです)
ここで、今までだったら冷たくされたことに愛されていないと感じていたのですが、
私とケンカするとほぼ毎回「帰ってくるな」とか「もう知らない」と突き放す言葉をいうのですが
その後決まって具合が悪くなるんです。
私が謝って(母は絶対に謝りません)仲直りすると調子が戻ります。
今回、そのことに気がついて、「私とケンカするとこんなに具合が悪くなるほど私は母にとって大きな存在なんだ。
愛されているからこんな風に具合が悪くなってしまうんだ」と感じました。
そして、父は母とのケンカに巻き込まれたくなかったのか4月に母とケンカしたときに
私がメッセージしても返信がありませんでした。(父との関係は幼少から良好です)
今回父のスマホに連絡を入れたら、切ろうとしても「最近はどうなんだ?○○くん(夫)はどうしてる?」と
もっと話したい素振りを感じました。
何が言いたいのかというと
私はとても愛されているんだな、と感じることができました。
今回両親に連絡しようと思えたのは、義母が繋いでくれたのかもしれません。
義母はとても愛情深い人で、私の誕生日には実の両親からは忘れられていても毎年お誕生日にメッセージをくれる人でした。
今は寝たきりで話すことができませんが、昨日久しぶりに会ったときに私の手を握って目で何かを一生懸命訴えているように感じました。
先日のセッションを受けたから、今回こんな風に感じることができたのだと思います。
本当にありがとうございました。
30代 女性 M・T様
西田先生
セッションの概要ありがとうございました。
最初は、催眠にかからなかったらどうしよう、、と少し不安がありましたが、セッション前にわかりやすく説明をして頂けたので、安心してセラピーを受けることが出来ました。
リクライニングのイスに座って先生の言葉に耳を傾けて深呼吸をしたり、全身の力を徐々にゆるめていつのまにか催眠状態になっていました。
意識はちゃんとあるのにまた違う自分が話し始める、なんとも不思議な感覚でした。
セッションしていただいた日の夜、息子と一緒に寝たのですが、とても喜んでいました。私も心から可愛いと思えるようになり、ママ友から「湊くんへの接し方が変わった!」と言われました。
湊にキツく当たっていた理由はわかりませんでしたが、近い存在だからと甘えて感情をぶつけていたのかもしれません。
前世の臨終の時にたった一人で私を看取ってくれたこと、また会おうねの約束を果たすために現世で子どもになってくれたことを思うと愛しく、大切にしようと思います。
また、両親を亡くしたローザからの「家族を大事に。いついなくなるかわからない」は胸にささりました。
セッションを受けられて本当に良かったです。時間を作ってくださりありがとうございました。
50代 女性 H・N様
前回のセラピーがとても良かったので、またおじゃましました。
今回は、ソマティックヒーリングを受けてきました。
自分が心地よいと思っている体重から10キロも太ってしまい、ずっと胃が重い感じがして、胃に負担をかけている気がしていました。
まずはベットに横になり、先生の誘導で思うがままに体が動き出し、枕を外してもらい手や足を引っ張って下さいとお願いしていました。
体がとても伸びたがっていたのです。体が思いっきり伸びた気がして本当に気持ちよかったです。
その後はミクロの自分になり、体の中に入り、体の違和感のある部分と対話をしました。
胃と腸と子宮と3箇所ありましたが、一番ビックリしたのは子宮でした。
原因は母親に言われた言葉でしたが、わたしはもうそのことを忘れていたし、もう何とも思っていないつもりだったのです。
でも、わたしの体はちゃんとそれを覚えていて解消できていなかったみたいです。わたしは、母親と対話をし抱きしめてもらい、これでもかと言うくらい泣きじゃくりました。こんなに泣いたのはいつ以来でしょうか。最初は冷たくて、石のようだった子宮はポカポカと温かくなりました。
最後は、わたしがどうやったら元の体重に戻れるのかを体が適切な言葉で教えてくれました。
体はちゃんと全部を知っているんですね。
今回のセラピーで、体も心も解放され、私はもっともっと誰に遠慮することなく自分の幸せロードを歩いていいんだとスッキリ清々しい気持ちになりました。
家に着いて「ただいま〜♪」と言った自分の声がいつもと全然違っていたことにビックリしました。
本当に素晴らしいセラピーで、わたしもソマティックヒーリングを是非習いたいと思い、西田先生の講座を受けることにしました!
もう楽しみでなりません!先生、これからもよろしくお願い致します。
50代 女性 H・N様
ヒプノセラピーを受け、すごい体験をしてきました。わたしは、人を助けたい思いから、人に依存されやすく、そして相手をいつまでも心配してしまって、助けきれない自分に罪悪感を抱いていました。今回はその原因となる場所へ行ってきました。
わたしはサラという女の子で、崖に囲まれた暗い海に一人でいました。家に帰りたくなかったのです。家では父と母がいつも喧嘩をしていたからです。喧嘩は物を投げるとか、そういうものではなく、ジワジワとした険悪な雰囲気を感じるものでした。2人とも言いたいことを我慢し、我慢に我慢を重ねてイライラしているようでした。わたしが嫌な思いをしていることもわかっていたようです。
父と母はその後、別々の人生を歩み、わたしにも自由に生きて行くように言いました。
わたしは自由に生きるつもりでしたが、大きくなってからも、父と母のことが心配でなりませんでした。
でも、ここで、父と母がどうしてるか見に行った時に、2人とも自分の人生を全うして生きていることがわかり、わたしの取り越し苦労だったことがわかりました。そして、人にはそれぞれの人生があり、わたしが助けなければならないという助け方は間違っていたことに気付きました。
守護霊様からのメッセージは
「私が楽しんで相手が楽しませることが それが人を助けるという事。ただそれだけをすれば良い。周りを見るより自分の事に集中してそれだけで良かった。周りは関係ない。周りを見ることは何の意味もない。私自身がどれだけ楽しめるかにかかっている。そうすればすべてが上手く行く。」
ひいおばあちゃんからのメッセージは
「良かったよ。この子は私が気が付かなかったことに気が付いたんだな~。素晴らしい生き方だわ。嬉しいよ。見てると私も楽しくなるよ。いつでも手伝うよ。私も今からでも楽しめるかな、一緒に。私もそうしたくなってきた。素晴らしいひ孫だ。そのまま進んで。そのままでいい。もう何も言う事はない。」
そして前世のサラさんに、「あなたの様になれますか?」と質問をしました。
前世のサラさんからのメッセージは
「なれますよ。なれるに決まってるでしょう。やりたい事があるのなら、突き抜けてやりなさい。天井は無い。やりたいだけやりなさい。」
そして、サラさんから人目を気にしない魂を分けてもらい、躊躇する心や怖さのエネルギーを預かって頂きました。
未来のわたしからのメッセージ
「あなたが楽しむことですべてが変わる。」
本当にステキな深い体験をしました。
このセッションが終わった後、今までわたしに依存していると思っていたお友達が、笑って楽しく生きている映像に変わりました。
そして、最後に西田先生からわたしの心に響く大切なメッセージをいただきました。
丁寧で、とても細やかで、安心できるセラピーでした。
自分だけでは気付けなかったことに気付けたり、思い込みが外れたとたん、相手の方が笑顔の映像になったりと、潜在意識の深いところで腑に落ちたので、目覚めた時にはとても清々しい気分でした。
人はこうやって、たくさんの物語を経験しながら、学びや感動によって魂を成長させていくんですね。
生きるということは素晴らしいことだと改めて感じました。
思い出に残るステキな1日をありがとうございました。
遅くなりましたが、体験記を書かせていただきました。是非是非、お役に立てたら嬉しく思います。
50代 女性 H・S様
私は10年間家族として共に生きた最愛の友、愛猫のにニャンタを失って以来、ずっと心に小さな穴が空いていました。当時はそれが心身に影響し、ストレスから体重が46キロから39キロまで落ちてしまい、世間でいうペットロスの状態でした。
気持ちの良い誘導に身を委ねながら深い催眠状態に入り、とてもリラックスした時にセラピストさんの声が聞こえました。
「それではニャンタ君に会ってみましょうか」
あの子を失った瞬間から叶わないと知りながら何度それを願った事でしょう。
迷わず私は「はい!」と答えました。
5つ目のカウントが終わった瞬間、右の枕元にあの子の気配がしました。
生前、必ず私に添い寝をしてくれた正にその位置でした。
そこからは激しい嗚咽で口からやっと出せる言葉は「ニャンタ」のみ。
暫くはその気配を抱きしめて泣き続けていました。
「ニャンタ君が来てくれましたね。何か聞いてみたい事はありますか?」とセラピストさんの声に、
「なぜ、看取らせてくれなかったの?ママが寝ている間に逝ったの?」私は絶対に最後をも守るつもりで数日間あの子のそばを離れず職場(理容院を経営していました)にも連れて行き、夜は徹夜で看病していました。
なのにあの12月23日深夜、ほんの30分間うとうとした時にあの子は旅経ってしまいました。そのことがあまりに残念でそんな自分をずっと責め続けていました。どうして、なんであの時眠ってしまったのかと。
あの子の返事ははっきりと声として伝わってきました。
「僕が死ぬのを見たらママが壊れると思ったから。」
「大丈夫だったのに。見とれなくて悲しかったのよ。」
「ううん、あの時ママは半分壊れてたよ。」
それから先は嗚咽がさらに激しくなり、全て念での会話に切り替えてました。
「じゃあ、どうしてママの誕生日の前日だったの?
ママは自分の誕生日にキミを火葬場に連れて行って…….。」
「本当はもっと早くに行くつもりだったのに、ママが死なせてくれなかった。
どんなに隠れても必死で泣きながら探すから。」
そうでした。あの時家から一歩も出なことのないニャンタが何度も姿を消し、これまで一度の居た事のない暗くて寒い場所に蹲りまるで身を隠しているようでした。冬の寒い時にそんなことをする理由が何となく分ってはいたものの、それを受け入れられない私はそのたびに「ニャンタ、そんなことしないで!」と抱きしめて泣いていました。
あの子は私の目を盗んで、必死に死に場所を作っていたんですね。
それを私が邪魔をし続けた。
「ずっと家でも独りぼっちにさせて悪いママでごめんね。
もっと元気な時に沢山一緒にいればよかった。」
「幸せだったよ。人間の子のように愛してくれたから。」
「・・・・・・・」
「ほらあ、そうやって又泣くでしょう。だからあの時絶対に死ぬところを見せないようにママが寝るまで必死に待ったんだよ。」
「キミを忘れる為に新しい子を迎えた方が良いかな?」
「う~ん、まだかな。もっと強くなってからね。」
「そっか~。そうだね。」
やっと心が落ち着いて涙が止まったあとで、ゆっくりと、セッションを終えてもらいました。
ネコなのにまるで人間の子のように常に私の精神状態を計りながら適度な距離感を保てる子でした。
どんなに寂しい思いをさせても家の中を荒らすこともなければ、傷をつけることも無く物静かな子でした。私よりも私を理解し、最後まで愛してくれていた事が分かって私の心の穴がゆっくりと塞がり、あの子との今生の出逢いに改めて感謝しています。
いつか私にも今生に別れを告げる日が来たら次にはあの世であの事笑顔で再会したいです。
素晴らしいセッションでした。
本当にありがとうございました。
40代 男性 K・S様
西田先生
この度は素晴らしい「ソマティックヒーリング」でのヒプノセラピーをありがとうございました。
右耳の耳鳴りに襲われ耳鼻科へと通院しておりましたが、薬との相性が悪かったのか?眩暈まで併発してしまうようになり、「メニエール症候群」と言う診断まで付け加えられてしまいました。
「果たして?こんな事を続けていて治るのか?」と、非常に疑問を抱いておりましたので、担当医師に「これで治っていくものですか?」と質問したところ「正直、元に戻る方は少ないです」との返答を頂いたため自己判断で通院を止め(もともと病院嫌いですし)、以前から少しだけ聞いた事のあった「ソマティックヒーリング」を試してみようとご依頼させて頂きました。
埼玉県の「セラピースペースルース」は、私の住まいからかなり遠い場所になりますが訪ねて行く事に決めました。
私は男性なので、基本的にはご紹介、またはどなたか女性と同伴する事が受付ルールになっていました。ですので妻を連れてお邪魔させて頂きました。
病院とは違い、とても落ち着いた静かなマンションの一室なので緊張もせず「おじゃましま~す」と言った感じでサロン室に入る事が出来ましたし、西田先生は何でも聞いてくださるセラピスト様でした。
実際、ソマティックヒーリングを体験して…
何とも不思議な療法だとは思っておりましたが、自分自身がイメージで患部へと行き、突発性難聴の原因(耳を詰まらせている存在)と直に話し合うと言った内容です。
まるで炭鉱のような厳しい環境の穴(耳)の中で、炭鉱夫(なぜか高倉健さん風)の存在が険しい顔で耳を塞いでいました…。そこで西田先生に促され、私は「なぜ私の耳を聞こえなくするんですか?」と聞いたところ「自分の胸に手を置いて考えろ」と、まさに高倉健さんのような塩対応…。でも何となく〝来てくれて嬉しそうな横顔がチラリ?(笑)〟そこで私も食い下がり「確かに不摂生な生活を続けてしまいました…ご迷惑をお掛けしてしまっていたんですね」と謝罪したところ、「お前はな、こうでもしないと(耳を聞こえなくしないと)休まないだろ?だからだ」との返答を得ました。
続いて更に「では、どうすれば再びこの難聴から解放してくれますか?」と対話を続けたところ…ちょっと訳が分からないのですが、どういう訳か全く異なる場面が浮かび、綺麗な海中で大きなジンベエザメが「の~んびり行こうや」と笑っている情景が浮かびました。実写的な物ではなくて、まるでアニメ「ファインディングニモ」のようなビジョンでした。さすがにこれには自分でも笑ってしまいましたが…(私は特にアニメ好きな訳でもありません)。
ここで更に西田先生は「の~んびり行くには、Kさんはどうされますか?何か工夫や、実際こうしよう!と言う事は思い浮かびますか?」とおっしゃいました。私は「1時間に1度は必ず仕事場の西側で景色を眺めながら休憩している情景が浮かびます」と答えました。そして「それを実際にされている様子を感じて見ましょう」と促され、しばしの~んびりと〝ひなたぼっこ〟をイメージの中で堪能しました。
あまりにも心地よ過ぎて、この後はあまり覚えていないのですが…「ヒプノテックムーブメント?」と言う動きを含めた療法では、自分でも驚くほどにお腹がバタバタと動き、あわや施術椅子から落ちるのでは!?と言う程でした。その後、解催眠…。
術後すぐに聞こえ具合を確認しましたが、まだ詰まった感じが残っていました。でも何と言ったら良いのか?まるで子どもの頃に昼寝をして目覚めたような、心地の良さを感じていたのを覚えています。
施術を終え、5時間かけて帰宅…この途中!何と、耳が「ポコっ」と言ってクリアな聴覚が戻ったのです。余りにも嬉し過ぎて思わず車を止めて西田先生にメールしてしまいました。帰宅後も絶好調な聴こえ具合で快適です。
その数か月後…突然の来客があったため、「さて何処にご案内しようか?」と出向いた先が「能登島水族館」そこにジンベエザメが居たんです!!もともと展示している物ではなくて、たまたま網に引っかかってしまったジンベエザメを保護して水槽に入れてある状態でしたが、悠々と泳いでいて「の~んびりの~んびり」と言っているかのように見えました。ヒプノセラピー…不思議だ。
この度は本当にお世話になりました!ありがとうございました。先生の益々のご活躍をお祈りいたしております。
2022年に追伸:あれから6年経過しますが、未だ突発性難聴の傾向は見当たりません!とても快適に過ごす事が出来ております。あの時の「1時間に1度は休憩」は今も守っています。あらためまして本当にありがとうございました。
40代 女性 M・I様
私はエジプトの砂漠に仲間と逸れラクダと独りぼっちで立ちすくんでいた。どこを見ても一面の砂漠。時刻は昼。このまま夜になったら獣に襲われる!おなかも空いていたし、恐怖と不安の中にいた。
太陽を頼りに西へ西へと歩いていたが、それは何か重要なことを伝えるためだった。
街が見え、宿でやっと部下に会い、他国が攻めてきている事を伝えることが出来た。が、時すでに遅しで、城は敵に包囲され、両親は殺されてしまっていた。私はその国の王子だったのだ。
人質として捉えられ、「今ここで死ぬか、敵国の言いなりになって生きるか」どちらにしても我が民を助けることはできない状況に陥ってしまった。
情けない…。一人では何も出来ない。もう見方は誰一人いない。判断力も信念もない無力な一人の人間い過ぎない。敵前逃亡した家臣に対しても失望していた。
あれから3か月、死んだように生きていた。
その時「このまま何もせずに終わってしまってもよいのか}と心の声がした。そうだ、私は今まで人からの評価ばかりを気にして生きてきた。「最後は我が国の民の為に生きよう!」と決心したその時、体中の細胞が振動し始めるのを感じた。ずっと感情を殺して生きてきて、周りを見る気力もなかったが、ふと目にした敵の兵の中に何と数名のわが軍の兵士を発見した。そう、家臣たちは国を見捨てず、取り戻す機会を待っていたのだ。早々に自分だけが諦めて勝手にどん底に落ちていたのだ。
その時、今まで人を信じ切ることが出来なかった私の心がピンクゴールドの光で満たされた。初めて感じた幸福感だった。そしてこの家臣達の中心となり地盤を固め動いてくれたのが、今生の家族だった。
その後中間世でハイヤーセルフに会い、「今後どのようにしたら波動を高めていくことができますか?」
との問いに、メッセージを頂いた。
「すべて分かっているはず。youtube やTVよりも先ずは自分と繋がること。
早起きし、体を温めほぐす。あなたが機嫌が良ければ家族がリラックスできるのです。
元家臣の家族はあなたの顔色を見てとても気を使っています。あなたが思っている以上に家族一人一人はパワーアップしていることに気が付きなさい。家族があなたを頼っているのではなく、実はあなたが家族に支えられているんです。勘違いしないでください。あなたはまず自分の土台をしっかり作って、良いですね。
あなたは波動の高い処は行くと決まっていません。未だどちらでも行けるんですよ。3次元の未練を捨てなさい。何も持っては行けません。先ず家族に感謝し、家族の中のあなたの在り方を改めなさい。朝のすがすがしい空気の中で自分と向き合う事。youtubeやTVからは何も得られません。」
人を信じることが出来ないのは周りのせいではなく、自分でそう思い見込んでいただけだった。
ずっと家族は誰も私の事が分かってないしそんな家族の中で何時も独りぼっちと思っていたけれれど、実はむしろ逆で、私の方が家族に対して威圧的な態度を取っていたので、そんな私を見捨てずに支えてくれていたのは家族だったのだ。
目から嘘子が落ちるとは正にこのようなことでしょう。
少しずつですが、私の態度や言葉使いが変わってきたので家族関係も変わってきました。何より主人と息子の関係が良くなってきたことが一番の変化です。私が主人に対する態度の変化が親子関係にまで良い影響を及ぼしてきたのです。
催眠を受けて本当に良かったと思います。
今、感謝一杯で過ごしています。
女性 R・F様
西田 美樹子 先生
本日は大変貴重なお時間へと導いて下さってありがとうございます。
本当にありがたく、心から先生の愛情の深さに感動し、また感謝しております。
自分の中にある過去世の魂や未来を生きている存在に対しての願いや祈りを携えて進んでいくきっかけを頂戴できました。こうした時間や自分との向き合い方を通して悩みのうちにある多くの人たちに癒しと目覚めを与えていける存在になりたいと思った時間でした。
たくさんのイメージとメッセージを宝物にして、自分を慈しみ、夫との絆や運命を抱き締めて日々を過ごせたらと思います。
西田先生に担当頂きましたこと、溢れる愛情でしっかりと受け止めて下さったことがとてもとても心地よかったです。
主人ともあの後、互いの話を共有し合ういい時間が持てました。
本当にありがとうございました!!!
このご縁を通して、人生を通じた学びの扉も開いていくきっかけを頂いたように思います。
どうか引き続き、お導きくださるようお願いいたします。
女性 M・T様
それはずっと酒を飲んで豹変する父親に怒鳴られ、叩かれて育ったせいだと思っていた。思春期の頃から不安定になり、大学生になってからはお酒でその不安感から逃れようとした。結果30歳の頃にはアルコール依存症になった。専門治療を受け断酒することができたけれど、自己否定は変わらなかった。「生きている価値など無い人間、お酒を飲まなくたって所詮アル中さ」と。
50代になりあるきっかけから、幼少期の苦しみが頻繁に蘇るようになってしまった。30年前に亡くなった父との苦い思い出から未だに逃れられない。そんな時に出会ったのが催眠療法だった。
退行催眠療法では、5歳の自分に戻って父と対峙し、言えなかった想いを言うことができた。父に抱っこをしてもらい、父を初めて心から許すことができた。無意識の中にいた、つらい想いを背負わせたまま心の片隅に追いやってしまった5歳の自分と、やはり私の中に取り込んでしまった父とが和解し、ばらばらだったそれぞれの存在が現在の自分に統合されたのだ。これで私の問題は解決したと思っていた。
ところが年老いた母に接していて、突然今まで感じたことの無い怒りが湧き上がってきた。それは「母は父から私を守ってくれなかった、むしろ私を盾にして自分を守っていた。」という想い。初めて知った母に対する激しい怒り。大人の自分は年老いた母に優しく接したいのに、怒りの感情に振り回される自分が情けなく、苦しい。
そんなとき西田先生の催眠療法を受ける機会が訪れた。退行催眠の時も暖かく見守ってくださり、自分の子供もお世話になった信頼のおけるセラピストだ。
私は幼少の頃のことを考えるといつも鼻の奥が腫上がって咳が出る。私が退行催眠に対して強い抵抗があることを考慮して、西田先生は体細胞療法から退行催眠へと私を誘導していった。
暗がりの中、父の怒鳴り声、物を投げる音。「ああまたけんかが始まった。」母が殺されるのではないかという不安感、押しつぶされそうな絶望感。
父が投げたコタツの板が子猫のお腹に当たった。
「ミーコが死んじゃう、、、」
母が言った。「お腹を撫でてあげなさい」
私はミーコのお腹を必死に撫でた。「死なないで、ミーコ死なないで。」
一生懸命、一生懸命ミーコのお腹を撫で続けた。
それでもミーコは死んでしまった。7歳の私は何もできなかった。死にたいする無力感。
「ミーコは何も悪くないのに。」
「お前らがミーコを殺した」父と母に対する激しい怒り。
「お前はミーコを救えなかった。何もできなかった。」自分に対する激しい怒り。
私は一切泣かなかった。そうして全ての感情を抑圧した。記憶はある。でも感情がない。感じてはいけないと自分で押しつぶしたんだ。催眠下にありながら大人の自分はそう悟った。「だから私は両親が、そして自分が許せなかったんだ」と。
西田先生に促され、ひたすら我慢してきた想いのありったけを母にぶつけた。「良い母親ぶった偽善者。子供が大切だと言いながら自分を守るため子供を犠牲にしてきたじゃない。」
母の気持ちを聞き、謝罪を受けたあと、出てきた感情は「お母さんを守りたい、お母さん、大好き。」
ああ、そうだ、私は小さい頃からずっと「お母さんを守りたい」と思って生きてきた。これでやっと老いた母にまた優しく接することができるなと心の片隅でほっとした。
西田先生が最後に、ミーコに会うことを提案してくれた。
救えなかったことを謝る自分、「天国で幸せだよ」っていうミーコ
ああ、これでやっと許される。
こうして催眠療法は終了した。
先日受けた大学の講座で「トラウマは過酷な体験に基づく自責の念によっておこる」と学んだ。私のトラウマは両親に対して怒りの感情を表すことを自分に禁じたことによる自責の念、ミーコを助けることができなかった自責の念に起因していたのだろう。今の自分はミーコの死はしょうがなかったと言えても、7歳の自分は辛すぎて感情を殺し、何もなかったかのように振舞うしか術がなかったのだ。なぜなら(怒りを表現し)親の愛情を失うことは子供にとって死をも意味するのだから。
記憶は取り出され、再編成され新たな記憶としてしまわれた。催眠療法で体験したことは現実に起こったことではない。それでも私の無意識の中ではそれが真実となり、葛藤が解消され、湧き上がる不適切な自己否定感から開放された。過去が過去のものとして切り離され現在の自分に悪影響を及ぼすことはもう無いだろう。例えあったとしても、原因が分かった今、切り離された過去を恐れる必要はもうどこにもないのだ。
最後に西田先生のお陰でここまで来ることができました。本当にありがとうございました。
この手記が苦しんでいる誰かの役に立ちますように。
50代 女性 会社員
私は亡くなった父に会いたいと思いヒプノセラピーをお願い致しました。
私の人生で父と暮らしたのは10歳から16歳までのわずか6年ほど、あとは行方のわからない状態での親子の縁でした。父との対面は38年ぶりそれも危篤に近い状態でした。
それでもあの楽しかった6年間の思いと大好きだった父に感謝の気持ちだけを思い出し、主人と二人で葬儀を済ませました。
三回忌を向かえた頃になり、私の心にはあれで良かったのかと後悔の気持ちが湧き、幼少からの心の風穴と向き合うようになりました。子供の頃から我慢強く母親を困らせることも無く、それと引き換えに、楽しいとか嬉しいとかの表現も失っていたように思います。
セッションを受けたとき父の顔が上手く浮かばないのです。
若い時の優しい顔と77歳の末期がんに耐えた顔、それでも感触として父の存在と心の有様を捉え、父の言葉を聞き、私は長年の心の荷物を降ろせたように思いました。自分らしく時には甘えわがままも言い、笑い、楽しいことにも心を弾ませ57歳にもなってやっと心が体が自分のものになったようにも感じました。
自分をこれからは大切にできると思います。 潜在意識を捉えるこの療法に救われる人は沢山いらっしゃる事と思います。私を導いて下さった西田先生に心より感謝いたします。
30代 女性 主婦
私は幼稚園、小学校で同じクラスで目と鼻の先に住むママ友が怖くて怖くて仕方がありませんでした。姿を見ただけでも、声を聞いただけでも心臓がどんどんと早くなり、顔は真っ赤になってしまい、何とか自分の姿を見られないようにするのが必死でした。彼女が外出する時間や、帰宅する時間も把握して、絶対に会わないようにと、買い物に行くのもかなりの神経を使っていたのです。
頭の中では「会っても平気な顔をしていればいい」とか「気にしなければいい」と分かっていても、どうしても体が拒否してしまうのです。この様な自分に疑問を持ち、これは何か今ではない昔に原因があるのではないかと思い、催眠療法を受けてみることにしました。
催眠に入り、最初の場面で、私は獄中で兵士に槍を喉元に3本つきつけられていた17歳の少年でした。
何故そのような事になったのか原因のわかる場面に移動すると、今度は8歳の少年にまで戻っていました。8歳の私は、気持ちよさそうに草の上に寝ころび、空をながめ、そしてご機嫌で家路につくところだったのです。そして家の近くまで来たところで、家の周りにはたくさんの兵士と馬車が見えました。よく見ると、なんと私の両親が(父は現在の夫で、母は現在の息子でした)手を後ろに縛られて連れて行かれるところでした。
何が起こったのかもわからない私は、途方にくれ、誰の身寄りもなく、隣の夫婦の家にお世話になる事になったのでした。
その時の奥さんが現在のママ友でした。でも私はその家で、まるで奴隷のようにこき使われて、いつもムチで打たれ、訳もなく「ごめんなさい」と誤ってばかりいました。食事も1日に1回で、それもひどく粗末なもので、慢性的にお腹がすいた状態で、いつしか生きる事すら諦めていました。
或る日、隣の夫婦が私の両親があまりにも幸せな家庭だったので妬ましく思い、騙してお金儲けをし、家庭をバラバラにしてやったのだと笑いながら話しているのを耳にしました。私はその夫婦を本当に心から憎いとおもい、恨み、殺害しようとしましたが、結局未遂に終わり、牢獄送りになってしまったのです。これが最初の場面だったのです。
「もうだめだ」とそう思った時、上の位の兵士の1人が「君を助ける為にこの機会をまっていたのだ」と笑顔で話しはじめました。以前からあの夫婦は人を騙して金儲けを繰り返してきたが、証拠がなかった。どうにかしたかったその兵士は、いつか私がその夫婦を殺害するだろうと常に見張っていたのだと言ったのです。その後、私は自由の身となり、隣お夫婦は数々の悪事が明るみになり、処刑されました。
時が過ぎ、私は同じように親をなくした子供達のために施設を造り、そこで出会った女性と結婚をして
幸せな時間を過ごしたようです。あの時殺害して恨みをはらせたように感じたとしても、このような幸せな気持ちにはならなかったに違いない、殺さずに済んでほんとうに良かったと思える自分がいました。
中間世とよばれるところで、マスターに会いました。その時のメッセージは「生きていれば幸せと思える時も苦しいと思える時もあるが、どんな時も決して人を恨んだり、憎んだりしてはいけない。」というものでした。その課題はクリアーできたでしょうか、との問いには、「随分とできてはいるが、まだ完全とは言えない」との事でした。そしてその課題については私は今生で行っている最中なのだそうです。
こうしてセッションは終わりました。
その後の現実の生活ですが、先日保護者会があり、同じクラスなので会いました。
未だ少し心臓はドキドキしましたが「少なくとも、もう彼女の顔色をみながら、ビクビクしなくても大丈夫なのでだ。ムチで打たれる事もないのだから」と思ったら気持ちが落ち着いてきました。
そしてなぜいつも私達家族に対してきつい事ばかり言っていたのかも納得しました。彼女は私達が羨ましくて仕方がないのです。それは私達の問題ではなく、彼女の問題なのです。
又、何故今生でも彼女が側にいるのかも分かったような気がします。
それは未だクリアーしきれていない「人を決して恨まない、憎まない」と言う課題を私が忘れないために存在していてくれるのではないかと思うのです。
今回セッションを受けさせて頂いて、心がとても軽くなりました。色々な気づきがありましたし、
これからもまだ気づくことが出てくるような気がしますが、その度に心が軽くなっていくのではないかと
楽しみにしています。
貴重な経験をさせて頂いて、本当にありがとうございました。
30代 女性 M様
先日、区の子宮がん検診で、「両方の卵巣の中に水が溜まって3~4センチの大きさになっています。これ以上大きくなるとねじれた場合激痛を伴いますし、色々不都合な事も起きてくるので、手術という事も考えてみられては」と言われました。
実は2年前から経過観察だったのですが、今回は今まで以上に気になり、どうしてこんなに大きくなってしまったのか、どうしたら治るのか知りたくて、ソマティックをお願いする事にしました。
催眠状態へと誘導して頂き、臓器に聞いてみると、日頃の食べすぎと不摂生とで私の臓器は病院の数値には出ないものの、全て機能は低下していました。特に、肝臓、胃、腸は異常なほど弱っていました。
催眠下でみた私の臓器は、冷たく、暗く、活動はしているものの生きる気力もなく、ただ仕方なく動いていると言った感じで、半分死んだような状態でした。
唯一まだ反論できる元気があるのは子宮と卵巣だけでした。それでも子宮は冷蔵庫の中にいるかの様に冷えきっていて、寒くて震えていました。自分達っは双子でと子宮は私に言ってきました。
西田先生に促されて卵巣に「どうして水がたまったの?」と聞くと
「あなたが女性として生まれた事や、こうして生きている事に感謝していないから・・・。本当に皆(体全体)に感謝したら更年期障害を免除してあげるし、肌もピチピチにしてあげる」といわれました。それから先ず、卵巣に誤りましたが、その時正直、心から謝っていませんでした。すると手が自然に肝臓のところに移動して、そのとたんに肝臓の悲痛な叫びが聞こえてどんどん心に響いてきました。その声はとても小さく、か細い声で、怒る力もなく弱々しいものでした。次に他の臓器も語りはじめました。その言葉を聞くうちに、知らず知らず私は泣いていました。本当に心に魂に響いたのでしす。体はいつも私に語りかけていたのだと思いますが、全く聞こうとせずに知らんふりしていたのだと感じました。私がこうして生きているのはこの体のいろんな臓器が頑張ってくれているお陰なのだと、つくづく思い、私はこの体にいさせてもらっている存在なのだと考えがガラリと変わりました。
ありがとう、体さん!
次に西田先生が「あなたの体は分かっていますよ。どのように動いたらもっともっと健康になっていくのか、そして子宮が正常な働きをするようになっていくのか、体が全部分かっていますよ。さあ、体に任せて動いてみましょう。」と声をかけて下さると、本当に体が動き出したのです。体に任せて自由な動きをしている自分を意識しながらも体は動いていくのです。頭で考える体操などよりはるかに自由で楽しくて、気持ちの良い動きでした。
自宅に戻ってからも思い出しながら体に任せて動いていました
そうして一週間後、再検診に行ってきました。
な、な、なんと、両方の卵巣がどちらも正常な大きさに戻り、ちゃんと回復していたのです。病院の先生もとても驚いていました。私も全身鳥肌が立ち、おもわず笑いがこみ上げてきました。「あ~、体さんはちゃんと約束を守ってくれたんだな~」と本当に感動しました。ギリギリまで頑張ってくれていた体に気が付かなかったのは私だと深く深く反省しました。
その後の私ですが、臓器が元の位置に戻り、骨盤はしっかりと体を支えてくれているように感じ、体重は変わらないのに体がとても軽くなったようで驚いています。本当に体は何でも知っているんですね。今は自分の体を信じて、毎日無理なく自然にストレッチしたり動いたりしています。
最初は半信半疑で受けさせて頂いたソマティックでしたが、実際に体験してその効果に驚いています。
いつも適切な誘導をして下さった西田先生に心から感謝しています。本当にありがとうございました。
40代 女性
結婚してから、主人が私を裏切った訳でもなく、日々一生懸命家族の為に働いて、休日も山登りなどに連れて行ってくれる優しい主人なのに…大恋愛の末に結婚できた人なのに、私はいつも「許せない」という感情が自分の中にある事を消し去ることができなせんでした。どんなに頭で考えても答えは出ませんでした。これは現世ではなく、前世に原因があるのではと思い、催眠療法をお願いしてみました。
催眠へと誘導して頂き、着いたところは江戸時代でした。
私は25歳で、清之介という武士でした。そして主人はやはり25歳で、幼馴染の竜之慎という浪人風の人物でした。二人にはこれも幼馴染の小春という商人の娘がいました。
最初は竜之慎と小春は恋仲でしたが、清之介である私はどうしても小春を妻にしたくて、財力で小春の両親に気に入られる様に策し、やがて小春も私に惹かれ、夫婦になりました。どうしても納得のいかない竜之慎は、ある日小春を呼び出し、無理やり襲い掛かり何度も私の名を呼ぶ小春に腹を立て殺してしまったのです。すぐに変わり果てた小春は見つかり、その現場には竜之慎の物と思われる小物が落ちていました。
それから3ヶ月、私は必死に竜之慎を探し、ついに仇を討つ時が訪れました。やっと見つけた仇の竜之慎でしたが、彼は罪悪感からすでに生きる気力は失せていました。小春や私への申し訳のない気持ちは会ったその時から私に斬られる覚悟でいたのでした。「もはやそのような者を斬っても小春はもう戻ってはこない。」私は斬る事ができなかったのです。とにかく、もう二度と竜之慎の顔はみたくなかったので、今、直ぐここから立ち去るように言い放ったのでした。別れ際に竜之慎は、「時を超え、いつの世になっても、自分は清之介をこの命にかえてでも助ける。」と約束し、去っていき、その後は二度と会うことはありませんでした。
その後竜之慎は刀を捨て、北の方に移り住み農民として結婚もせずに細々と暮らし、生涯を終えました。その時の村の庄屋さん(現在の主人の母親)が最後まで面倒を見てくれていたのでした。
私は小春亡き後、「きく」というとてもしっかりとした才色兼備な妻と結婚し、子宝には恵まれませんでしたが、剣術の師範となり、多くの弟子達にかこまれ、とても幸せな生涯を送りました。でもやはり心の奥では小春への思いを忘れる事はできなかたようでした。
中間性と呼ばれる死後の世界では、マスターといって神様のような方に会うことができました。そこで私は今の人生での課題を知ることが出来たのです。それは「今生で、本当の意味で人を許し、思いやることを学ぶ」というメッセージでした。だから仇同士が家族になり、一つ屋根の元、共に生きるる事になったのだと今やっと気が付き理解する事ができました。お付き合いしている頃からのライバル意識や、結婚してからの「許せない」感情がなぜあったのかも分かりました。
催眠療法を受けた翌日
洗濯物を干していたら、急に「ありがとう」が言いたくなり、手を合わせていたら涙がこみ上げてきて脳裏に清之介の姿が現れ「やっと救われた、、、」と声をあげて泣きじゃくりました。心の底ではずっと苦しんでいたのだと思います。今生で竜之慎が夫となりあの時の約束をちゃんと果たしてくれている事がわかり、やっと許すことができたのだと思います。同時に自分で自分を許す事ができたのです。
どうしても許す事が出来なかった主人を今はすんなりと受け入れることが出来て、催眠療法の凄さを実感しています。これからは親子を、家族を楽しみます。
貴重な体験をさせて頂いて本当にありがとうございました。感謝で一杯です。