皆様から頂きましたセラピー体験記録です

セラピースペース ルース でセッションを受けて頂いた皆様からの「体験記」です。
秘密保持に配慮し、個人特定が可能な箇所につきましては修正の上、寄稿者様の承諾を得て掲載をさせて頂いております。
下のタイトル名をクリックして頂きますと、ご寄稿文章が開きます。

女性 M・T様

自己肯定感が持てずにいた。何かあると「だから自分はだめなんだ」と瞬時に湧き上がる想い、そうやっていつも自分を責めていた。
だからいつも自分自身に疲れていた。努力しても努力しても自分を認められない、許せない。仕事をしながら大学に入り直し心理学を勉強した。
3人の子供を育てながら、仕事と心理学の勉強を続けてきた。それでも理解できない、訳の分からない罪悪感が薄皮一枚身体にまとわり付いている感覚。

それはずっと酒を飲んで豹変する父親に怒鳴られ、叩かれて育ったせいだと思っていた。思春期の頃から不安定になり、大学生になってからはお酒でその不安感から逃れようとした。結果30歳の頃にはアルコール依存症になった。専門治療を受け断酒することができたけれど、自己否定は変わらなかった。「生きている価値など無い人間、お酒を飲まなくたって所詮アル中さ」と。

50代になりあるきっかけから、幼少期の苦しみが頻繁に蘇るようになってしまった。30年前に亡くなった父との苦い思い出から未だに逃れられない。そんな時に出会ったのが催眠療法だった。

退行催眠療法では、5歳の自分に戻って父と対峙し、言えなかった想いを言うことができた。父に抱っこをしてもらい、父を初めて心から許すことができた。無意識の中にいた、つらい想いを背負わせたまま心の片隅に追いやってしまった5歳の自分と、やはり私の中に取り込んでしまった父とが和解し、ばらばらだったそれぞれの存在が現在の自分に統合されたのだ。これで私の問題は解決したと思っていた。

ところが年老いた母に接していて、突然今まで感じたことの無い怒りが湧き上がってきた。それは「母は父から私を守ってくれなかった、むしろ私を盾にして自分を守っていた。」という想い。初めて知った母に対する激しい怒り。大人の自分は年老いた母に優しく接したいのに、怒りの感情に振り回される自分が情けなく、苦しい。

そんなとき西田先生の催眠療法を受ける機会が訪れた。退行催眠の時も暖かく見守ってくださり、自分の子供もお世話になった信頼のおけるセラピストだ。

私は幼少の頃のことを考えるといつも鼻の奥が腫上がって咳が出る。私が退行催眠に対して強い抵抗があることを考慮して、西田先生は体細胞療法から退行催眠へと私を誘導していった。

暗がりの中、父の怒鳴り声、物を投げる音。「ああまたけんかが始まった。」母が殺されるのではないかという不安感、押しつぶされそうな絶望感。

父が投げたコタツの板が子猫のお腹に当たった。

「ミーコが死んじゃう、、、」

母が言った。「お腹を撫でてあげなさい」

私はミーコのお腹を必死に撫でた。「死なないで、ミーコ死なないで。」

一生懸命、一生懸命ミーコのお腹を撫で続けた。

それでもミーコは死んでしまった。7歳の私は何もできなかった。死にたいする無力感。

「ミーコは何も悪くないのに。」   

「お前らがミーコを殺した」父と母に対する激しい怒り。

「お前はミーコを救えなかった。何もできなかった。」自分に対する激しい怒り。

私は一切泣かなかった。そうして全ての感情を抑圧した。記憶はある。でも感情がない。感じてはいけないと自分で押しつぶしたんだ。催眠下にありながら大人の自分はそう悟った。「だから私は両親が、そして自分が許せなかったんだ」と。

西田先生に促され、ひたすら我慢してきた想いのありったけを母にぶつけた。「良い母親ぶった偽善者。子供が大切だと言いながら自分を守るため子供を犠牲にしてきたじゃない。」

母の気持ちを聞き、謝罪を受けたあと、出てきた感情は「お母さんを守りたい、お母さん、大好き。」
ああ、そうだ、私は小さい頃からずっと「お母さんを守りたい」と思って生きてきた。これでやっと老いた母にまた優しく接することができるなと心の片隅でほっとした。

西田先生が最後に、ミーコに会うことを提案してくれた。

救えなかったことを謝る自分、「天国で幸せだよ」っていうミーコ

ああ、これでやっと許される。

こうして催眠療法は終了した。

先日受けた大学の講座で「トラウマは過酷な体験に基づく自責の念によっておこる」と学んだ。私のトラウマは両親に対して怒りの感情を表すことを自分に禁じたことによる自責の念、ミーコを助けることができなかった自責の念に起因していたのだろう。今の自分はミーコの死はしょうがなかったと言えても、7歳の自分は辛すぎて感情を殺し、何もなかったかのように振舞うしか術がなかったのだ。なぜなら(怒りを表現し)親の愛情を失うことは子供にとって死をも意味するのだから。

記憶は取り出され、再編成され新たな記憶としてしまわれた。催眠療法で体験したことは現実に起こったことではない。それでも私の無意識の中ではそれが真実となり、葛藤が解消され、湧き上がる不適切な自己否定感から開放された。過去が過去のものとして切り離され現在の自分に悪影響を及ぼすことはもう無いだろう。例えあったとしても、原因が分かった今、切り離された過去を恐れる必要はもうどこにもないのだ。

最後に西田先生のお陰でここまで来ることができました。本当にありがとうございました。
この手記が苦しんでいる誰かの役に立ちますように。

50代女性 会社員
 
私は亡くなった父に会いたいと思いヒプノセラピーをお願い致しました。
私の人生で父と暮らしたのは10歳から16歳までのわずか6年ほど、あとは行方のわからない状態での親子の縁でした。父との対面は38年ぶりそれも危篤に近い状態でした。
それでもあの楽しかった6年間の思いと大好きだった父に感謝の気持ちだけを思い出し、主人と二人で葬儀を済ませました。

三回忌を向かえた頃になり、私の心にはあれで良かったのかと後悔の気持ちが湧き、幼少からの心の風穴と向き合うようになりました。子供の頃から我慢強く母親を困らせることも無く、それと引き換えに、楽しいとか嬉しいとかの表現も失っていたように思います。

セッションを受けたとき父の顔が上手く浮かばないのです。
若い時の優しい顔と77歳の末期がんに耐えた顔、それでも感触として父の存在と心の有様を捉え、父の言葉を聞き、私は長年の心の荷物を降ろせたように思いました。自分らしく時には甘えわがままも言い、笑い、楽しいことにも心を弾ませ57歳にもなってやっと心が体が自分のものになったようにも感じました。

自分をこれからは大切にできると思います。 潜在意識を捉えるこの療法に救われる人は沢山いらっしゃる事と思います。私を導いて下さった西田先生に心より感謝いたします。

30代 女性  主婦

私は幼稚園、小学校で同じクラスで目と鼻の先に住むママ友が怖くて怖くて仕方がありませんでした。姿を見ただけでも、声を聞いただけでも心臓がどんどんと早くなり、顔は真っ赤になってしまい、何とか自分の姿を見られないようにするのが必死でした。彼女が外出する時間や、帰宅する時間も把握して、絶対に会わないようにと、買い物に行くのもかなりの神経を使っていたのです。

頭の中では「会っても平気な顔をしていればいい」とか「気にしなければいい」と分かっていても、どうしても体が拒否してしまうのです。この様な自分に疑問を持ち、これは何か今ではない昔に原因があるのではないかと思い、催眠療法を受けてみることにしました。

催眠に入り、最初の場面で、私は獄中で兵士に槍を喉元に3本つきつけられていた17歳の少年でした。
何故そのような事になったのか原因のわかる場面に移動すると、今度は8歳の少年にまで戻っていました。8歳の私は、気持ちよさそうに草の上に寝ころび、空をながめ、そしてご機嫌で家路につくところだったのです。そして家の近くまで来たところで、家の周りにはたくさんの兵士と馬車が見えました。よく見ると、なんと私の両親が(父は現在の夫で、母は現在の息子でした)手を後ろに縛られて連れて行かれるところでした。
何が起こったのかもわからない私は、途方にくれ、誰の身寄りもなく、隣の夫婦の家にお世話になる事になったのでした。
その時の奥さんが現在のママ友でした。でも私はその家で、まるで奴隷のようにこき使われて、いつもムチで打たれ、訳もなく「ごめんなさい」と誤ってばかりいました。食事も1日に1回で、それもひどく粗末なもので、慢性的にお腹がすいた状態で、いつしか生きる事すら諦めていました。

或る日、隣の夫婦が私の両親があまりにも幸せな家庭だったので妬ましく思い、騙してお金儲けをし、家庭をバラバラにしてやったのだと笑いながら話しているのを耳にしました。私はその夫婦を本当に心から憎いとおもい、恨み、殺害しようとしましたが、結局未遂に終わり、牢獄送りになってしまったのです。これが最初の場面だったのです。
「もうだめだ」とそう思った時、上の位の兵士の1人が「君を助ける為にこの機会をまっていたのだ」と笑顔で話しはじめました。以前からあの夫婦は人を騙して金儲けを繰り返してきたが、証拠がなかった。どうにかしたかったその兵士は、いつか私がその夫婦を殺害するだろうと常に見張っていたのだと言ったのです。その後、私は自由の身となり、隣お夫婦は数々の悪事が明るみになり、処刑されました。

時が過ぎ、私は同じように親をなくした子供達のために施設を造り、そこで出会った女性と結婚をして
幸せな時間を過ごしたようです。あの時殺害して恨みをはらせたように感じたとしても、このような幸せな気持ちにはならなかったに違いない、殺さずに済んでほんとうに良かったと思える自分がいました。
中間世とよばれるところで、マスターに会いました。その時のメッセージは「生きていれば幸せと思える時も苦しいと思える時もあるが、どんな時も決して人を恨んだり、憎んだりしてはいけない。」というものでした。その課題はクリアーできたでしょうか、との問いには、「随分とできてはいるが、まだ完全とは言えない」との事でした。そしてその課題については私は今生で行っている最中なのだそうです。

こうしてセッションは終わりました。
その後の現実の生活ですが、先日保護者会があり、同じクラスなので会いました。
未だ少し心臓はドキドキしましたが「少なくとも、もう彼女の顔色をみながら、ビクビクしなくても大丈夫なのでだ。ムチで打たれる事もないのだから」と思ったら気持ちが落ち着いてきました。
そしてなぜいつも私達家族に対してきつい事ばかり言っていたのかも納得しました。彼女は私達が羨ましくて仕方がないのです。それは私達の問題ではなく、彼女の問題なのです。
又、何故今生でも彼女が側にいるのかも分かったような気がします。
それは未だクリアーしきれていない「人を決して恨まない、憎まない」と言う課題を私が忘れないために存在していてくれるのではないかと思うのです。

今回セッションを受けさせて頂いて、心がとても軽くなりました。色々な気づきがありましたし、
これからもまだ気づくことが出てくるような気がしますが、その度に心が軽くなっていくのではないかと
楽しみにしています。
貴重な経験をさせて頂いて、本当にありがとうございました。

30代 女性 (Mさん)

先日、区の子宮がん検診で、「両方の卵巣の中に水が溜まって
3~4センチの大きさになっています。これ以上大きくなるとねじれた場合激痛を伴いますし、色々不都合な事も起きてくるので、手術という事も考えてみられては」と言われました。

実は2年前から経過観察だったのですが、今回は今まで以上に気になり、どうしてこんなに大きくなってしまったのか、どうしたら治るのか知りたくて、ソマティックをお願いする事にしました。

催眠状態へと誘導して頂き、臓器に聞いてみると、日頃の食べすぎと不摂生とで私の臓器は病院の数値には出ないものの、全て機能は低下していました。特に、肝臓、胃、腸は異常なほど弱っていました。
催眠下でみた私の臓器は、冷たく、暗く、活動
はしているものの生きる気力もなく、ただ仕方なく動いていると言った感じで、半分死んだような状態でした。

唯一まだ反論できる元気があるのは子宮と卵巣だけでした。それでも子宮は冷蔵庫の中にいるかの様に冷えきっていて、寒くて震えていました。自分達っは双子でと子宮は私に言ってきました。

西田先生に促されて卵巣に「どうして水がたまったの?」と聞くと
「あなたが女性として生まれた事や、こうして生きている事に感謝していないから・・・。本当に皆(体全体)に感謝したら更年期障害を免除してあげるし、肌もピチピチにしてあげる」といわれました。それから先ず、卵巣に誤りましたが、その時正直、心から謝っていませんでした。すると手が自然に肝臓のところに移動して、そのとたんに肝臓の悲痛な叫びが聞こえてどんどん心に響いてきました。その声はとても小さく、か細い声で、怒る力もなく弱々しいものでした。次に他の臓器も語りはじめました。その言葉を聞くうちに、知らず知らず私は泣いていました。本当に心に魂に響いたのでしす。体はいつも私に語りかけていたのだと思いますが、全く聞こうとせずに知らんふりしていたのだと感じました。私がこうして生きているのはこの体のいろんな臓器が頑張ってくれているお陰なのだと、つくづく思い、私はこの体にいさせてもらっている存在なのだと考えがガラリと変わりました。

ありがとう、体さん!

次に西田先生が「あなたの体は分かっていますよ。どのように動いたらもっともっと健康になっていくのか、そして子宮が正常な働きをするようになっていくのか、体が全部分かっていますよ。さあ、体に任せて動いてみましょう。」と声をかけて下さると、本当に体が動き出したのです。体に任せて自由な動きをしている自分を意識しながらも体は動いていくのです。頭で考える体操などよりはるかに自由で楽しくて、気持ちの良い動きでした。
自宅に戻ってからも思い出しながら体に任せて動いていました

そうして一週間後、再検診に行ってきました。
な、な、なんと、両方の卵巣がどちらも正常な大きさに戻り、ちゃんと回復していたのです。病院の先生もとても驚いていました。私も全身鳥肌が立ち、おもわず笑いがこみ上げてきました。「あ~、体さんはちゃんと約束を守ってくれたんだな~」と本当に感動しました。ギリギリまで頑張ってくれていた体に気が付かなかったのは私だと深く深く反省しました。

その後の私ですが、臓器が元の位置に戻り、骨盤はしっかりと体を支えてくれているように感じ、体重は変わらないのに体がとても軽くなったようで驚いています。本当に体は何でも知っているんですね。今は自分の体を信じて、毎日無理なく自然にストレッチしたり動いたりしています。

最初は半信半疑で受けさせて頂いたソマティックでしたが、実際に体験してその効果に驚いています。
いつも適切な誘導をして下さった西田先生に心から感謝しています。本当にありがとうございました。

40代  女性

結婚してから、主人が私を裏切った訳でもなく、日々一生懸命家族の為に働いて、休日も山登りなどに連れて行ってくれる優しい主人なのに…大恋愛の末に結婚できた人なのに、私はいつも「許せない」という感情が自分の中にある事を消し去ることができなせんでした。どんなに頭で考えても答えは出ませんでした。これは現世ではなく、前世に原因があるのではと思い、催眠療法をお願いしてみました。

催眠へと誘導して頂き、着いたところは江戸時代でした。
私は25歳で、清之介という武士でした。そして主人はやはり25歳で、幼馴染の竜之慎という浪人風の人物でした。二人にはこれも幼馴染の小春という商人の娘がいました。

最初は竜之慎と小春は恋仲でしたが、清之介である私はどうしても小春を妻にしたくて、財力で小春の両親に気に入られる様に策し、やがて小春も私に惹かれ、夫婦になりました。どうしても納得のいかない竜之慎は、ある日小春を呼び出し、無理やり襲い掛かり何度も私の名を呼ぶ小春に腹を立て殺してしまったのです。すぐに変わり果てた小春は見つかり、その現場には竜之慎の物と思われる小物が落ちていました。
それから3ヶ月、私は必死に竜之慎を探し、ついに仇を討つ時が訪れました。やっと見つけた仇の竜之慎でしたが、彼は罪悪感からすでに生きる気力は失せていました。小春や私への申し訳のない気持ちは会ったその時から私に斬られる覚悟でいたのでした。「もはやそのような者を斬っても小春はもう戻ってはこない。」私は斬る事ができなかったのです。とにかく、もう二度と竜之慎の顔はみたくなかったので、今、直ぐここから立ち去るように言い放ったのでした。別れ際に竜之慎は、「時を超え、いつの世になっても、自分は清之介をこの命にかえてでも助ける。」と約束し、去っていき、その後は二度と会うことはありませんでした。

その後竜之慎は刀を捨て、北の方に移り住み農民として結婚もせずに細々と暮らし、生涯を終えました。その時の村の庄屋さん(現在の主人の母親)が最後まで面倒を見てくれていたのでした。
私は小春亡き後、「きく」というとてもしっかりとした才色兼備な妻と結婚し、子宝には恵まれませんでしたが、剣術の師範となり、多くの弟子達にかこまれ、とても幸せな生涯を送りました。でもやはり心の奥では小春への思いを忘れる事はできなかたようでした。

中間性と呼ばれる死後の世界では、マスターといって神様のような方に会うことができました。そこで私は今の人生での課題を知ることが出来たのです。それは「今生で、本当の意味で人を許し、思いやることを学ぶ」というメッセージでした。だから仇同士が家族になり、一つ屋根の元、共に生きるる事になったのだと今やっと気が付き理解する事ができました。お付き合いしている頃からのライバル意識や、結婚してからの「許せない」感情がなぜあったのかも分かりました。

催眠療法を受けた翌日
洗濯物を干していたら、急に「ありがとう」が言いたくなり、手を合わせていたら涙がこみ上げてきて脳裏に清之介の姿が現れ「やっと救われた、、、」と声をあげて泣きじゃくりました。心の底ではずっと苦しんでいたのだと思います。今生で竜之慎が夫となりあの時の約束をちゃんと果たしてくれている事がわかり、やっと許すことができたのだと思います。同時に自分で自分を許す事ができたのです。
どうしても許す事が出来なかった主人を今はすんなりと受け入れることが出来て、催眠療法の凄さを実感しています。これからは親子を、家族を楽しみます。
貴重な体験をさせて頂いて本当にありがとうございました。感謝で一杯です。

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